謹賀新年

旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

今月で、事務所開業3年目のスタートとなります。
厳しい時代の中、お陰さまで3年目を迎える事が出来ました。


去年は、領土問題で揺れに揺れた日中関係でしたが、徐々に修復される事を祈ってます。
相隣接する国民が、お互いに敵対心を持ち続ける事は、何の得にもなりませんよね。


縄張りを主張するという行為は、動物でも人間でも共通して存在しますね。
犬であれば、電柱にオシッコを掛ける。熊だったら、木に爪後を残す。
人間だったら?武力行使ですか?
ブロック塀を作る。境界標を設置する。それで良しとしますか?
縄張りの縄=境界線とするならば、境界ってなんでしょうか?


境界とは、筆界と所有権界を指して言います。
筆界は、公法的に創設された、元々の位置にあるべき境界、つまり「固有の境界」を指し、これを公法上の境界と言い、所有権界は、私法上の境界として峻別されています。。。。。。。

簡単に説明しましょう^^

幕末の頃、小作人の一郎と二郎は隣同士で畑を耕していた。
幕府が倒れ、時代が明治になり、新政府は小作人に、土地所有権を認め、年貢の代わりに、所有する土地の広さ等に応じて銭を収める制度にしたのだ。

一郎と二郎が「所有権」とする土地の範囲が所有権界。
その所有権界を、世間に公表した図面に書かれている線が「筆界線」。

数年後、一郎の耕す畑の地形が悪いので、二郎の畑の一部を買い取り、一郎の土地である目印を打ち込み、柵をしたとしても、二郎の土地を買った部分を分筆して、世間に公表した図面(公図)に分筆線を入れ、一郎名義の土地としなければなりません。

分筆線が「筆界線」であり、分筆線が無ければ、せっかく打ち込んだ目印も柵も単なる所有権の範囲であり、所有権界に過ぎないのです。

一郎が買った二郎の土地の一部が分筆されなければ登記簿には、1番 畑  300㎡ 所有権者 一郎  2番 畑  300㎡  所有権者 二郎    ※分かり易く書いてます。。。。
実体上は、一郎が二郎の土地の一部を買ったのだから、二郎の土地の所有権の一部は一郎へと移転してますが、登記簿上は何も変わりません。

「筆界線」とは、登記簿に記載された土地の情報の範囲を、公の図面に表す線なのです。



我が町調布市においては、明治時代に作成された公図と呼ばれる旧土地台帳附属地図が多く法務局に備え付けられています。

土地の表示に関する登記の現地調査で最も重要な事は、元々の位置にあるべき固有の筆界を示す唯一の資料である公図と、現地の状況を表す地積測量図など図面関係との照合調査です。

公図が示す筆界を確認し、地積測量図などの図面類が、現地において、物理的な状況を客観的に公正に調査・測量するのです。

公図の持つ効力について、その作成経緯や歴史的経緯を調査・探求もせずにして、「公図は明治時代に農民が作ったものだからいい加減な地図である。」などと決め付けるものではない。

前述の一郎と二郎の土地について、明治・大正・昭和・平成へと時代が変遷し、土地所有者も相続やら売買やらで一郎の「一部買ったけど、分筆してない」話も消えうせてしまえば、二郎の土地の承継人三郎から、その土地の測量を依頼された場合、一郎が当時所有者であった土地も調査・測量しなければ、一郎が二郎から買った土地の所有権が、一部実体上移転していた事実に気付かないで「地積更正登記」をしてしまう危険性がある。

つまり、現地の構造物(柵)や境界標(目印)だけでは、地積更正の登記原因である「錯誤」の根拠が証明出来ないのだ。

公図の証明力については、距離・角度・方位・地積といった定量的・数値的な面については証明力はないが、隣接土地との位置関係や、筆界が直線か屈曲線か又はその方向という定性的な面についてはかなり信用性がある、というのが裁判例で多く見られます。