第30回大田原マラソン

エントリーしたときは絶好調。厳しい練習を難なく繰り返し、無難にスタートラインに立てると思っていたが、予想どおりに故障してしまったよ!

楽しかったぐんまマラソン後は、腓骨筋膜炎の治療に専念。


一週間休足して痛みがなくなり練習を再開したが、あっけなく再発。大会までまた一週間を完全休養し、タイムよりも完走することを目指した。

去年は記録狙いでつくばマラソンを走り、見事にサブスリーを達成。
天候もコースも厳しい大田原は避けた。
サブスリーは達成したものの、コースが楽だと達成感も薄く、やはり過酷な大田原を避けたという後ろめたさもあり、大田原にて自己ベストを更新させたい気持ちがかなり強かった。


毎度のお雑煮ローディングも走ってないから太るだけさね。
参加賞の与一くん十一味唐辛子で気合注入?


西那須野駅から約2kmほどのビジネスホテルに宿泊。
部屋にはこんな標語が!


気合を入れてくれてありがとう!って言いたいとこだが、明日の天候と自分の足の具合からはとても気合が入る状況ではない。
週間天気予報は大会日が近づくほど悪化(笑笑)。予想天気図では等圧線が混み合う典型的な冬型の気圧配置。したがって、上り基調になる23km地点からは猛烈な北風が容赦なく吹き付けることに違いない。
そんな恐ろしいことを想像しながらも、イタリアンレストランにてワインも飲んじゃったよ。


朝食は近くのコンビニにて。

走っていないのに食欲が旺盛。体重は60kgを軽く超えていた。





天気予報どおりに朝から冷たい雨が降り続けた、那須与一の故郷、大田原。
制限時間が4時間という、なんともストイックな大会。
しかも、フラットなコースでないところにも、ランナーの「チャレンジ魂」を誘う大会。
もちろん仮装も当然禁止。
数多くあるマラソン大会のなかでも特に競技性が強く、沿道で応援する人たちも熱が入る。
今年は30回の記念すべき大会。何としても制限時間内にゴールラインを通過したい気持ちだったが。。。


参加者が少ないので、受付会場も混雑することはない。極めてストレスフリーな大会。


冷たい雨が降る中、多くのランナーがアップ走していた。
私は寒くてとてもとても走る気がしなかったよ。


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スタート5分前にダウンジャケットを脱ぎマネージャーに渡す。
ファンラン使用のカメさん帽子を被っていつものポーズ。
アップ用のジェルを塗ったから寒くはなかった。



号砲が鳴りスタート!



スタートから5kmまで脚の運びは軽かったが、下り基調にもかかわらず、息が苦しくペースが全く上がらなかった。
着地の度に両足に襲ってくる痛みが、地面を蹴る力を削ぎ落とし、練習不足と体重増加のトリプルパンチ!
15km地点で飲みたくもないロキソニンを一粒口に放り込む。
若干だが痛みが和らぎ、ペースも落ちなくなったが、23kmからの折り返しを通過したら上り坂!ロキソニンは気力落ちまで治してくれなかったな。
徐々に痛みが増幅し、顔が歪むほどの痛みではないが、さすがにゴール後の足の状態を想像したら恐ろしかったから、30km地点の給水所でリタイヤ宣言。
救護所の暖かいスタッフにおもてなしを受けて、救護車に乗りサブ3.5でゴール!(会場へー)
30回記念フィニッシャータオルは貰えなかった。



支給された野菜ジュースとアンパン。
特別なものではないが、走ったランナーにとっては本当に嬉しいおもてなしだ。完走してないけどな!



無料の温泉に入りマッサージ。
あー、やっと終わったんだ、という気持ち。
リタイヤした悔しさよりも、早く治して来年また走りたい気持ちが強かった。
30kmでリタイヤして良かった。あのまま走り続けていたら歩けなくなっていたに違いない。


帰りの電車内でやっと飲めたビール。完走して飲みたかったよ。



大会を振り返って。

意外にも那須連山からの強風は吹かず、スタート時に雨は降っていたが10kmほどで雨は止んで、暑くもなく寒くもない、この上ない絶好のマラソン日和でとても走りやすい大会となった。
完走者も多くいたに違いないでしょう。
記念大会ということもあり、例年よりも盛り上がった大田原マラソン
残念な結果に終わったが、DNSするより良かったと思いたい。
来年は必ず万全な状態でスタートラインに立ちたいな。